今回の街歩き
今回は、新宿西口乗り場を歩きます
新宿のバスターミナルといえば
甲州街道沿いのバスタ新宿を
多くの人はイメージするのではないでしょうか
(甲州街道とバスタ新宿)
しかし
新しい街のターミナルができる中で
生活の足のターミナルが新宿西口にあります
今回は都民のターミナルである
新宿西口バス乗り場を歩きたいと思います
(京王新宿駅前からバス乗り場を望む)
少し昔の息吹を感じる
新宿駅はオリンピックに向けて
地下通路の案内の張替えなど
改装が進んでいますが
目立つ場所にも
昔の名残を感じることができます
例えば15番乗り場地下にある
この案内板
(都営バス案内板)
この案内板は
都内の鉄道と併せて
バスの路線図を掲示しています
しかし
近付いて見てみると
懐かしい営団地下鉄のマークが
残っているのです!
(案内図の拡大)
(備考欄にも営団地下鉄の文字が)
2004年に東京メトロが誕生して
今年で15年が経とうとしていますが
街の歴史が深いだけ
なかなか消えないものも
ある様に感じました
時代を残すバス乗り場
バス乗り場のつくりにも
古さゆえの苦難を感じます
そもそもこのバス乗り場が
整備されたのは1966年
1964年のオリンピックを
終えたばかりの日本は
モータリゼーションの最中
交通戦争等の時代背景を織り込んだ
作り方をしたことは容易に考えられます
交通戦争
対策
「交通戦争」が問題視され始めた昭和30年代当時、関係者の間では交通安全の対策として、教育(英:Education)・法制(英:Enforcement)・技術(英:Engineenring)の三つの対策が少なくとも必要とされ、英語頭文字をとって「3E対策」とよばれた。
交通安全施設をとってみると、公安委員会(警察)が設置する交通信号機、道路管理者が設置する歩道、立体横断施設(横断歩道橋・地下横断歩道)、道路照明、防護柵(ガードレール)、あるいは道路標識や道路情報装置など多彩なものが展開された[3]。
Wikipediaより引用
このバス乗り場を見てみると
(ハルクからバス乗り場を望む)
バス乗り場の端は新宿駅ではなく
地下通路に繋がっています
バス乗り場から離れたところに
横断歩道が設けられていますが
1ヵ所のみです
(小田急百貨店前よりバス停を望む)
裏を返せばこの横断歩道さえなければ
地下通路を通らないと
新宿駅とバス乗り場は
行き来できないのです
(雑に描いた概略図)
→黄色の横断歩道が唯一の地上連絡路
つまり
横断歩道が後付けであると
考えるのであれば
このバス乗り場は
歩行者は地下で移動させて
車と分離させたかったのでは
ないでしょうか
交通から命を守るために
考え出された時代の答えが
現在も姿を留めて
伝えている様に
感じられます
時代に彷徨うバス乗り場
このバス乗り場の端にある
地下連絡部は階段のみ
(バス乗り場と同じ幅の階段が待ち構える)
両端に階段があるのみの
バス乗り場の構造は
作られた時代には
特に何もなかったのでしょう
ですが
交通バリアフリー法の施行等
バリアフリー化が進む今は
エレベーターが欲しいところ
しかし
このバス乗り場は
バス待ちの列と
地下に移動する人で
いっぱいいっぱい
スペース的に
エレベーターを
つける余裕はありません
(2人横並びでいっぱいいっぱい)
しかし
このままでは
バス乗り場としては
役不足と考えたのでしょう
地下通路に入るための
エレベータを作る場所を捻出し
設置してありましたが
横断歩道側に1基あるのみ
(地下へくだる唯一のエレベーター)
これでは他のバス乗り場に行けません
そこで
エレベーターと先述の横断歩道を
つなぐために作られていたのが
バス乗り場内の横断路でした
(赤い道路がバス乗り場を結ぶ)
50年前の時代が考えた安全の答えは
立ち行かなくなってしまったのでしょう
結果的に人と車は再び交わることを
必要としたのです
しかし
平面交差ができたとはいえ
少々の手直しで
半世紀の間
常に時代の求める答えを
与え続けることができてきた
このバスのりばのポテンシャルは
かなり高いように感じました
(人は車と再び交わる)
街の交点は街の形
いかがでしたでしょうか
本当はただただ
バスに乗る予定でしたが
営団マークからはじまり
いろいろと見て回ってしまいました
きっかけから広げて見てみると
街の見方もずいぶん変わり
楽しいものでした
次回はとある県境を見に行きたいと思います
お面パンダ
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